私は、横浜F・マリノスを応援しています。久しぶりに優勝争いに絡んでいて、毎試合、興奮しています。そんなチームを率いるのがオーストラリア人のアンジェ・ポステゴクルー監督です。見事なリーダーシップを発揮しているといっていいのですが、リーダーシップの原則からみるとやや異形です。今日はポステゴクルー監督のリーダーシップについて考えてみたいと思います。
話さないリーダー
アンジェ・ポステゴクルー監督は選手と直接話しをする機会が極端に少ない監督のようです。選手のインタビュー記事から、その様子が窺えます。リーダーシップの定義は一言で言えば「周囲に影響を与えること」です。コミュニケーションを直接取らないのに、影響力を与えられるのはいったい何故でしょう?
リーダーシップの発揮にはビジョンが必要
どんなスタイルのリーダーシップでも、必ず必要なものがあります。それがビジョンです。あるべき理想の姿と言い換えても構いません。周囲の人々に共感されるのが、良いビジョンです。ボスはこの点に関しては首尾一貫して「アタッキングフットボール」を掲げ続けています。マリノスの指揮を取る前の、オーストラリア代表監督時代も、それ以前も。魅力的なビジョンですが、難しいビジョンでもあります。攻撃的なfootballは分かりやすいですが、試合は相手あっての事。当然、守る時間もでてきます。また、プロである以上、結果が求められます。理想と結果を天秤にかけた時、多くのリーダーは結果を求めます。結果を出さなくては、自分の明日はありませんから。
企業経営に置き換えても同様です。素晴らしくビジョン、ミッションを掲げる企業は多いですが、実現できる企業は一握りです。マーケットから利益という結果を求められる企業は、理想を一旦横に置いといて現実に向き合うことはしばしばあります。この事は、現実をサバイブしていく際には必要な判断です。だからこそ、理想を掲げることは難しい事だし、誠実な人ほど実現可能なビジョンを掲げるように思います。
ブレない覚悟
人々を魅了するビジョンの実現は、前述したように困難を伴います。だから途中で修正が図られのが実際です。修正をして結果という果実を手にしたとしても、問題はそのプロセスや過程における発言や行動を周囲が見ているということです。窮地に陥ったリーダーの立ち振る舞いを見て、周囲はこのリーダーは信頼に値するか否かを判断します。アンジェ・ポステゴクルー監督のチームは昨年残留争いに巻き込まれるました。サポーターや選手の中には疑心暗鬼に陥った人もいると思います。しかし、ボスは自分のビジョンをプラすことはありませんでした。そして見事、昨年は残留を勝ち取りました。この姿勢をみて選手は、この監督の信念は本物だと感じたように思います。
話さなくても伝わる
ビジョンが魅力的で優れていてもコミュニケーションを取らなければ伝わりません。ボスはもちろん全体の前では分かりやすく魅力的に伝えていると思います。しかし、個別のコミュニケーションはほとんどとっていません。取りようによっちゃ、上意下達の一方的なコミュニケーションのようにも映ります。これには一つの工夫があるように思います。それは役割分担です。自分で個別のコミュニケーションを取らない代わりに、その役目をコーチに任せているように見えます。コーチを信頼して権限以上ができているのでしょう。これはとても重要です。周囲はリーダーに頼りがちになります。するといつしか、気づかぬうちにメンバーはリーダーに依存する形になります。ボスはフットボール選手に、規律を土台とした自由を求めているように見えます。過度な依存は、結果として理想のfootballの邪魔になると考えて、そのような関係性を生み出す形を排除しているのかもしれません。また、理想とするfootballの実現が難しいことも本人が一番理解しているのだと思います。昨年のように、物事がうまくいかない時に矛盾したことを選手に伝えてしまうリスクも考えていたのかもしれません。直接、話すことがなければ、余計なことは話さないですみますから。
大リーガーの松井選手が所属したニューヨークヤンキースのトーリ監督も選手とは直接コミュニケーションは敢えてあまり取らなかったと聞いています。しかし、選手からは絶大な信頼を勝ち得ていました。
自分のスタイルを理解する
リーダーシップを発揮するには、「余計な事は話さない」なんて単純な話ではありません。ポステゴクルー監督は、チームの方向性とリソースと自分の特性をよく考えて、今のスタイルに落ち着いたのだと思います。周囲から自分がどう見られるかを認識できているのでしょう。自分の苦手なことをカバーしてくれるスタッフを集めたのでしょう。自分自身がプレイヤーとして実績がないのが、ボスのリーダーシップの発達に影響したのかもしれません。
もっとも勝てば官軍とはよく言ったもので、成績が良くなければ、選手とコミュニケーションが取れない監督として烙印を押されていたかもしれません。人の評価とはこんなものです。