研修を企画する際、様々なケーススタディをしようします。経営戦略について学ぶのに、ベタですが学びやすいのが富士フイルムとコダック社のケースです。今日はこの2社を引き合いにだしながら経営について考えてみたいと思います。
2つのフィルム会社
昭和生まれの方々は記憶が鮮明だと思います。デジカルカメラが誕生する前はフィルムカメラ全盛の時代でした。世界のフィルム業界をまずリードしたのはイーストマンコダック社です。誕生は1881年。本社はニューヨーク州ロチェスター。絶頂期には米国のフィルム市場の90%を占有していました。その巨人に対抗したのが日本の富士フィルム。もともとは大日本セルロイドという会社の写真ビジネスを引き継いで1934年に設立されました。国産フィルムの生産に成功し、その後もマイクロフィルム等の新しい用途のフィルムを次々に開発し成長しています。1984年のロサンゼルスオリンピックの公式フィルムに認定されて世界進出。その後はコダック社とフィルム市場を二分するまでになります。
株主に忠実であった会社
巨人であったコダック社は、その圧倒的な市場シェアに胡座をかいていたわけではありません。新技術への研究、投資にも熱心に取り組んでいました。現在のデジタルカメラのコア技術を開発したのもコダック社です。1975年には開発されていたそうです。しかし、コダック社はデジタルカメラ市場への参入は出遅れました。圧倒的な市場シェアを握っているコダック社としては、そのマーケットを荒らすことになるデジタルカメラへの参入は合理的ではなかったのです。デジタルカメラ市場を新たに創造すれば、自分たちの利益を減らすことにつながるからです。カニバライゼーション(共食い)を恐れたんですね。90年代に入って世の中が、デジタルカメラ大隆盛になってもコダック社はデジタルへ本格参入することはありませんでした。もちろんちょこちょことは、デジタルカメラや周辺機器はリリースはしていたのですが。なぜなら、フィルムの販売は利益率が高かったためです。デジタルへの参入に出遅れたコダック社がデジタルカメラを製造販売しても利益率は低かったんですね。でも、これから素人目でもフィルム業界の未来は危ういと考えれるはずです。例え利益率が低いからと言って、イノベーションを目指さないのは非合理的にも見えます。当時のコダック社の経営陣が無能だったんでしょうか? いいえ違います。彼は株主に対して誠実だっただけです。株主が期待するのは、株主利益の最大化です。だからこそ、コダック社の経営陣は下落する株価を下支えするために自社株買いを繰り返しました。そして、新たな収入源を確保するためにローリスクローリターンの会社を中心に買収を進めます。もちろんコストダウン、リストラも進めていきます。最後の方は、特許も売り払いました。しかし、みなさんご存知のように
2012年に会社更正法を申請しすることになります。
既存技術を活用できた会社
富士フィルムもデジタルカメラへの参入には出遅れました。出遅れた理由はコダック社と同じです。自らの事業を否定することにつながるデジタル化は受け入れ難いものでした。富士フィルムも加速度的に業績を悪化させていきます。しかし、富士フィルムは徳俵に足がかかった状態から見事V字回復に成功します。その成功要因は、既存の社内リソースや知識や技術を再配置に成功したことです。ノートパソコンやスマホで必要な保護フィルムを開発させたり、化粧品分野へ参入していきます。これらに使われた技術はすでに社内にあったものです。それら技術の新しい用途開発、新しい市場開発を短期間で進めていったんですね。では、なぜこんなに早く方向転換できたのでしょうか?そこには1人のリーダーの存在があります。古森社長の存在です。彼は富士フィルムの本流であるフィルム部門の出身ではありません。営業畑出身なんですね。営業だったからこそ、市場における危機的状況を冷静に判断できたのかもしれません。彼は技術の棚卸しを行った上で、前述した新たな戦場を再設定します。我が社はどこで飯を食うのか?どこで勝てるのか?です。古森社長の卓越さは、その実行力です。いくら素晴らしいビジョンを描いても、実行力がなれれば絵に描いた餅にすぎません。社内外のステークホルダーを納得させるために、まず富士ゼロックスを買収します。プリンター事業ですね。デジタル化の波を考えれば富士ゼロックスの事業は成長性が魅力でしたし、それ以上にプリンタビジネスは一定の収入が安定的に見込める事業でした。この買収によりまず財務上の不安を解消したんですね。社員からしてみれば、このリーダーについていけば生き残れるかもしれないと思わせるには十分な成果でした。並行して社員に対しては経営情報をオープンにして共有化していきます。危機感を醸成していったんですね。ここも秀逸です。ど三流の経営者はうちの社員は危機感が足りないと、危機感という言葉を連呼します。しかし、みんな大人ですし、正しい情報が開示されれば何が危機かは自ら判断するものです。そう意味では古森社長は人と人の感情に対する洞察も優れていたように感じます。それともう1つ。富士フィルムには200億という変革に必要な内部留保が存在していたことも重要です。まあ、コダック社も内部留保はあったし、技術もあったし、置かれた環境は同じだったわけですから、トップ(リーダー)の差だったとも結果的には言えるのですが。それと運もありますよね。この危機的状況に彼が経営者に指名されるタイミングに、そのポジションにいたということです。もう少し早くても、逆に遅くとも富士フィルムの復活はなかったようにも感じます。