今回はリーダーシップについて書こうと思います。リーダーシップ研修のテーマはよくご依頼を頂きます。でも、正直に言うとリーダーシップ論は100人いれば100通りの考え方があります。それだけ捉えづらいテーマでもあります。
目次
リーダーシップとは
冒頭、リーダーシップ理論は様々あるとお伝えしました。私自身はリーダーシップをこのように捉えています。「目標を掲げて、周囲に働きかけて、成果を出すこと」そして、「働きかけ方は本人と周囲のメンバーと状況によって決まる。だから、リーダーシップ論はどれもが正解でもあり不正解でもある」
もっと単純にズバッとと言い切れるといいんですけど。。。
しかし、いくつか理解しておいた方がいい知識、情報があります。
リーダーとリーダーシップは違う
よくある誤解として、リーダー=リーダーシップです。リーダーの部分を上司とか社長とか監督とかに置き換えてみてください。私たちは権威がある人、権力を持つ人=リーダーシップを発揮する人と認識しがちです。
そして、権威をもつ人、権利を持つ人は周囲から期待されている範囲の中でパフォーマンスを発揮します。ミソは周囲から期待されている範囲です。周囲から期待されている範囲内でパフォーマンスを発揮するというのは一見当たり前に見えます。しかし、本来リーダーシップの発揮が最も必要とされるのは周囲の期待の範囲の外側にある問題に対処する時です。
例えば政治家はやるべき政策があったとしても自分の支持者が望まない政策は実行しません。アメリカで銃がなくならないなんてその典型ですよね。
リーダーシップの発揮は危険と隣り合わせ
リーダーシップの発揮は危険と隣り合わせです。課長が職場でリーダーシップを発揮しようとしたら、上司と部下の間の板挟みにあうのは世の常です。ビジネスパーソンはこれぐらいですみますが、過去、世の中の大変革を促そうとしたリーダーは非業の最後を遂げるのが多いイメージです。人種問題に立ち向かったキング牧師、明治維新の立役者の1人である坂本龍馬。。。
リーダーシップの語源は、インド・ヨーロッパ語のleitです。これは、戦場に向かう部隊の先頭で旗を運び、境界線を越えていく人を意味します。そして通常は真っ先に敵の攻撃を受けて犠牲になります。自分が犠牲になって残りの部隊に危険があることを知らせる役目です。
何のために、誰のためにリーダーシップを発揮するか
リーダーシップを発揮すると聴くと、「カッコいい!」「尊敬する!」と思うかもしれませんが、前述したように本当は危険なことでもあります。だからこそ、リーダーシップを発揮する際は自分が絶対に譲れないこと。信じてやまないことにおいてのみでしかオススメしません。中途半端な義務感や正義感だけでリーダーシップを発揮することは本人も周囲も不幸にします。
クマ坊のリーダーシップ
自分自身がリーダーシップを発揮する際に気をつけることは、「得意分野は自らリードし、不得意分野は得意な人がに任せ、自分が知らないこと不得意な事も放置せず学習する」ことを心がけています。そして物理的にも精神的にも孤立しない事も大切にしています。
変革は直ぐに結果が出る事は稀です。特に人々の行動を変えようと思ったら長期戦の覚悟が必要だから心身共に健康であることはとても大切な事です。
偉そうに書いていますが、周囲の人々の期待の範囲内でしかリーダーシップを発揮した経験しか有りません。従来のビジネスモデルの中でどうしたら業績が上がるかとか、人が成長するかなど前向きなテーマばかりですから楽なものです。
しかし、これから否応なしに未知の境界線を越えていかなくてはなりません。社会や技術が加速度的に変質してきてるから。残念ながら我が社のビジネスモデルも溶解してきています。逃げ切るのは難しいでしょう。先送りされてきた問題に真正面からぶつからないと未来はなさそうです。