クマ坊の日記

人材育成と本とサッカーが中心のブログです

3月11日

東日本大震災からもう7年が経つんですね。当時、私は東京の五反田で被災しました。福岡への転勤が決まっており、お客様の引き継ぎで後任と一緒でした。五反田のビルやマンションがありえないぐらいにしなっていました。揺れのあまりの時間の長さに、生まれて初めて「死ぬかもしれない」と感じたのを覚えています。運が良かったのは歩いていた場所が公園みたいなところで、近くにビルがなかったことです。揺れが収まってからは遠くから黒煙が。後で分かったのは千葉のコンビナートでの火災でした。

 

地震の揺れが収まった後は、妻に電話。その時、妻は子供を身籠っていました。一瞬でしたが連絡がつき、無事なことが分かり安堵しました。携帯はつながりませんでしたが会社で支給されていたPHSは繋がったんですね。もっとも繋がったのは一瞬だけでその後は全く連絡がとれませんでしたけど。

 

その後、訪問予定のお客さまのビルへ。ちょうどお客さまも広場へ避難するためにビルから出てくるところでした。笑ってしまうのは、こんな非常自体の時でも交代の挨拶と名刺交換をしてたことです。一生忘れられない引き継ぎの挨拶です。お客さまのワンセグでテレビの放送を見れました。分かったのは震源地が東北らしいということ。挨拶もソコソコに帰宅することに。当時の自宅は横浜でした。電車はとまっていましたが、バスは動いていました。近くに行けるところまで行こうということで、確か中目黒の近くまで運良くバスに乗れました。そしてそれからは歩き。後で冷静に考えてみたら、駅の近くで待機して電車が復旧してから帰るほうが良かった気もします。ただその時はいち早く妻に会いたかったんですよね。

東京から自宅まで歩いたことはなかったですが、幸い中目黒までバスでこれたので東横線沿いに歩いていけばいいだけでした。お茶だけ自販機で買って、ひたすら歩く歩く。震災直後は歩いている人は少なかったですが、時間が経つにつれて歩道に人が増えていきました。自動車も大通りは渋滞していて動かなかったですね。大通りは車と人で溢れかえっていたので、途中から脇道を進みました。ただこれが失敗でした。電気が消えて真っ暗な中歩くのですが、渋滞を嫌がった車が脇道に入ってきました。結構なスピードで走っていたので危ないなと感じました。あの道でさらに地震が起きていたら、本当にあぶなかったと思います。結局、五反田から家まで5時間ぐらいかかりましたね。

一人で不安だろうと思っていた妻は元気でした。「あれっ 帰ってきたんだ」の一言で拍子抜けしたのも覚えています💦

帰宅してからのニュースで東北の未曾有の被害を知りました。私は以前、転勤で仙台に住んでいたので洪水の映像を見てショッキングでした。仙台市内でもあんなところまで津波がやってくるとは。。。かなり後になって、仙台でお世話になったお客さまの何人かが亡くなられたことも知りました。。。

 

月並みかもしれませんが、あの震災後に感じたのは改めて「今を生きる」ことの大切さです。そして「今を大切にすること」。過去は変えられないですし、未来もどうなるか誰もわかりません。大自然の前では人間は無力です。だからこそ、自分がコントロールできる範囲のことは、自分の意思でどうにかできることは、せめて一生懸命やろうと考える気持ちが以前に増して強くなりました。