クマ坊の日記

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【人材育成】対話と学び

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対話、英語だとDialogue は日本人には馴染が薄い単語かもしれません。人材開発の世界では、ダイバーシティや組織開発のテーマとの絡みで注目されているキーワードの一つです。今日は学びと対話の関係について考えてみたいと思います。

対話の語源

冒頭お伝えしたように、対話は人材開発界隈で注目されているキーワードですが、一般的には馴染が薄い特殊なコミュニケーションだと思います。対話の語源は、Dia +logosです。Diaは相互、logosは論理ですが、2人以上の人々が相互に言葉を交わすことを指します。Dialogue は日本語では対話と訳されますが、この言葉が示すのは2人以上の人々が「対等」であること。ひとりの人間としてリスペクトしながら、「対面」することを求めています。現代の日本人には馴染み薄いコミュニケーション形態ですが、歴史を辿れば古代ギリシャの哲学者、ソクラテスプラトンアリストテレスや中国の孔子と弟子も対話をして新たな知恵を創造していきました。

 

対話が成立するには共通の目的が必要

対話は2人以上の人々が、互いにリスペクトしながら言葉を交わしていきますが、それには一つ大切なものがあります。互いに関心がある「目的」の存在です。目的を共有しておかなければ、対話は1ミリも始まりません。でも、職場の中では往々にして、共有の目的ではななくて上司にとっての関心ごとだったり、自部門だけの都合だったりすることがほとんどです。だから、対話をするのであれば、まずは共通の目的を握ることが大前提となります。でもこれが職場では難しい。自分の価値観、尺度で話を始めてしまいがちだからです。

 

いったん考えを脇におく

チームワークの良い、気心が知れた職場であれば目的とかいちいち確認せずとも問題ありませんが、そんな職場は日本中探してもほんのひと握りです。お互いの考え方や価値観の間に距離を感じたら、自分の考えをいったん脇において話を聴いてみることです。その行為自体が人を成長させることに繋がります。自分が知らなかった、気づかなかった相手の考え方や価値観の尺度に気づくことに繋がるからです。

対話を始めた古代の賢人ソクラテスも「無知の知」と言う言葉を残していますよね。対話を通して、自分の知らなかったことを自覚ことができるというのは素晴らしい事です。無論、何でも対話すれば解決できる、成長できるという脳天気なことを言うつもりはありませんが、対話と言うコミュニケーション形態にチャレンジしていくことは意味があるように思います。

ビジネスの現場ではスピードが求められるので、悠長に対話してばかりはいられませんが、重要度が高くて、影響度も大きく、成果をだすのに長い期間がかかるような事柄、例えば人材育成や経営戦略に関しては対話は必須スキルのように思います。