前回の記事で、マイケル・ポーター先生の理論をご紹介しました。その理論とは「ビジネスは儲けられる市場を選んで、競合に対して儲かるポジションを取らないと、どんなに努力しても、無駄、無駄、無駄、無駄、無駄‼️」でした。
ポーター先生の理論を当てはめると、あら不思議!?ビジネスが何故成功したかを綺麗に分かり易く説明することができました。
しかし、ビジネスはそんな単純な話じゃありません。ポーター先生のポジショニングを打ち破る非常識な企業が日本から現れました。それが本田宗一郎が率いたHONDAでした。
目次
戦略がなくても、HONDAがアメリカ市場で成功しちゃった⁈
HONDAがアメリカに進出したのは1959年。すでに国内ではナンバー1のバイクメーカーでした。卓越した技術力の結晶である名車スーパーカブが原動力でした。
しかし、当時のアメリカでは500CC以上の中型バイクしか走っていませんでした。そしてその市場で絶対王者に君臨していたのがハーレー・ダビッドソンでした。
いったいホンダはどうして一見勝ち目のないアメリカ市場へ参入したのでしょうか?
その疑問を明らかにしたのがアメリカを代表するコンサルティングファームであるマッキンゼーでした。コンサルタントのパスカルさんが「戦略の視点、ホンダの成功の背後にある本当の物語」という論文を発表しました。
当時の経営幹部へのインタビューを土台に書かれました。ちなみにインタビューで幹部はこんな風に答えていました。
「だってアメリカがバイクの本場だろう。この国で勝負したかったんだよ!アメリカ人にも馬鹿にされたくなくてアメリカで中型バイク売りたかったんだよ!」
「でも、全然売れなくて途方に暮れていたんだ。ところが社員が営業で使っていたスーパーカブの人気がやたらあるから、真面目に売り出してみたら当たったちゃった!テェへ‼️」
戦略なんて1ミリもありませんでした。あったのは情熱だけでした。
アメリカのポジショニング学派の先生達は驚きました。Why Japanese People!
ポジショニング学派の面目丸潰れ
前述した論文が発表されるまで、ホンダはポジショニング学派のケーススタディのお手本でした⁈ 当時はこんな風に解説されていました。
「ホンダは日本での二輪車の経験を活かしてコストリーダーシップ戦略を駆使して、アメリカで小型二輪市場を新たに創造した。その後そこでの経験を活かして既存市場である中型以上の二輪市場も席巻した。」
大学で上記のように解説していたのに、当事者達から戦略のセの字も出てこない。。。そんなハズはない!ポジショニング学派の面目は丸潰れです。
ケイパビリティ学派の誕生
ケイパビリティというのは聞き慣れない単語だと思います。ケイパビリティとは、「企業能力」と言います。企業能力?ますます混乱しますよね💦
言葉では表現しづらいのですが、企業が持つ価値観だったり、人材、技術、デザイン、製造能力などなど、「自社の強みに基づいてビジネスを行うことが重要。市場のポジショニングなんて関係ないさ!だってホンダをはじめ多くの日本企業がアメリカの市場で成功してるじゃないか!」
かくしてマーケティングの学問の世界では、ポジショニング学派とケイパビリティ学派の争いが勃発するのでした。
情熱が一番
ホンダに限らず、多くの日本企業がアメリカ、そして世界のマーケットへ進出して成功しました。しかし、その成功は良く考えられた戦略に支えられたわけではなく、情熱と少しの運だったりします。
ここがビジネスの奥深さと面白さなんだと思います。今、日本に求められているのは振り切れた情熱を持つビジネスパーソンなんだと私は思います。