クマ坊の日記

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パワハラ上司と闘った時の話②

前回に引き続いてパワハラ上司と闘った時の話です。

 

 

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 目次

 

密室を作らない

まず始めたのは、O本部長と部下を2人だけにさせないことでした。個室に籠られると中の会話がブラックボックスですから。その上で、会話内容は全て記録を撮りました。私も本部長とは2人きりにならないようにしました。現場リーダーを務めている部下に必ず打ち合わせに入ってもらうようにしました。

 

代替案で結果を出す

中間管理職であった私が発言権と影響力を持つには結果が一番分かりやすいと考えました。ということで通常よりもハードワークしました。O本部長のアキレス腱は仕事で成果をあげたことがないこと。成果を上げることが、O本部長から身を守ることにも繋がっていました。ただ成果を上げるための方針は、O本部長の方針とは違ったやり方で進めました。あからさまには反対しませんでしたが、こっそり違ったプランで仕事を進めていました。元々の方針がトンチンカンなものでしたしね。

私のチームは業績を上げ続けました。O本部長のやり方に素直に従ったチームはことごとく成果を上げることに失敗しました。噂だけでなく業績面でもO本部長の社内での風当たりは厳しくなってきました。

 

常に冷静に立ち振る舞う

O本部長は打つ手打つ手が裏目に出るのでイライラMAXでした。私を含めメンバーの仕事自体にはケチのつけようがないので、枝葉末節な部分での難癖をつけるようになりました。上司の挑発に乗らないよう注意しました。忠臣蔵浅野内匠頭常の気分です。冷静に立ち振る舞うことを意識しました。

 

上司から追い込まれる

 こうして一年が過ぎた頃、来年度の予算編成と計画策定の時期がやってきました。経営に対して各部門から説明を行い来期の活動計画の承認をもらう会議があります。本部長が発表し、担当チームの計画のみ課長が発表するというものです。当然、本部長と課長の計画には連鎖が求められます。

O本部長からは、本部長が描いた計画通りにクマ坊の考えとして発表するように指示されました。しかし、計画内容はズサンな内容でした。計画通り進めたら、私のチームは失敗するのが明らかでした。計画の一部修正を具申しましたが却下されました。そこで、「この内容では経営とは私は業績責任の結果に責任は取れません。どうしてもこの計画で進めるなら、私の発表部分も本部長から説明してください」と本部長の指示を拒否しました。

本部長からは、「仕事がいくらできても組織で働く以上、上司の命令は絶対だ。発表はしなくていいが、管理職としての資質は経営から疑問視されることになることを覚悟しろ!今ならまだ許してやるぞ」と言われました。ドラマの悪役が語るようなセリフを現実に聞くことあるんだなと考えていたのを覚えています。私の答えはもちろんNoです。今のポジションを守りたかったら始めから闘わないですし💦

 

運命の会議の日

経営幹部や他の管理職が一同に会する会議がスタートしました。O本部長の説明の後、私の発表の順番がきました。前年度の振り返りは私が説明しました。しかし、「計画についてはO本部長から説明さしあげます」と伝えました。課長が来期の計画について経営陣に説明しないのは前代未聞です。会場が一瞬ザワつきました。O本部長は新任役員とも会議で私の代わりに話すことについて承諾を取りつけていました。O本部長は予定通り説明を始めました。

しかし、途中で発表は止められました。社長が「非常に違和感を感じる。何故、クマ坊が発表しない?」O本部長は新任の担当役員からも承諾頂いていますと弁明を始めました。しかし、役員は「私は聞いてませんが」のまさかの掌返し。O本部長の部門の説明は後日となりました。

 

実はこの会議が開催される前に、私は一本のメールを新任の担当役員に送っていました。主旨はO本部長の計画に対して不安を感じてること。会議終了後に相談したいことがあるので時間を作って欲しいこと。新任担当役員とは面識はありましたが、どんな考えを持っているかは分かりませんでした。課長から相談のメールが来たり、社内でO本部長の噂を聞いたりすれば何かよくないことが起こっていたとは感じていたと思います。しかし、会議の進め方を聞いた時は、組織の論理が役員の判断軸になるのかなと想像していました。

 

会議終了後、役員と面談ができました。簡潔にまとめた報告書をもちろん持参して。役員は人事部に調査を指示することを約束してくれました。1カ月後、O本部長の降格が発表されました。私もその部署から他部署への横滑りの異動でした。私や部下への一年に及ぶパワハラ終結しました。

 

今でも悔いが残っているのは、O本部長のパワハラで7年務めていた契約社員が1人辞めてしまったことです。本人からは「当初は耐えられなくて辞めることを決意したけど、新しい仕事にもチャレンジしたかったのて、結果的に辞めて良かった」と言われましたが。。。

 

それぞれの立場があり、立場によって見解が変わるのは当たり前だと思います。ただ、働くメンバーが心身を損なうようなやり方は間違っています。1年間で嵐が過ぎ去ってくれて何よりでした。

 

ただ、もし私がもっと若かったら会社辞めていただろうなと思います。それぐらい上司の影響力は大きいですから。今振り返ると良い経験したと話せますが二度とゴメンですね。